学校日記

糸数壕を訪れました(修学旅行総集編 1日目)

公開日
2025/06/01
更新日
2025/06/01

42期生 修学旅行総集編

糸数壕は糸数アブチラガマとも呼ばれます。沖縄では自然洞窟のことを「ガマ」と呼びますが、沖縄戦当時は糸数集落の避難指定壕で、日本軍の陣地壕や倉庫として使用されていました。戦争が激化した昭和20年4月以降、南風原陸軍病院の分室となり、軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊などが看護活動を行っていたそうです。

ガイドさんから説明がありましたが、当時ガマ内は1000人以上の負傷兵で埋め尽くされ、学徒隊たちは不眠不休で看護活動や水汲みなど懸命に働いていたそうです。

昭和20年5月25日、南部搬退命令が発令されると病院が搬退し、糸数の住民や歩けず生き残った負傷兵の居場所となり混乱状態が続き、治療ができない多数の負傷兵は放置されました。また、米軍は空気穴などから火炎放射攻撃を行い多数の死者が出ました。その時の黒焦げの跡や、爆風で吹き飛んだ金属が壕の上部に張り付いていましたね。

米軍の投降勧告がでる昭和20年8月下旬まで、住民と負傷兵はあの真っ暗なガマに隠れていました。